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ハタチになりました。旅行記。l became 20 and started keeping a travel journal.

イスタンブールはコンスタンティノープルだった

 

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コンスタンティヌスという男の顔が、私はどうしても気に食わなかった。世界史の教科書のローマに関するページには、顎骨のしっかりした、しかし一向にこちらと視線の合わないコンスタンティヌス帝の石像写真が載っていた。

「なんやこの人、目イッてるなあ…」なんて隣の席の子と思わず笑い合った。

 

ミラノ勅令で有名なこのローマ皇帝は、その顔こそ私のタイプではないものの、やってのけたことは実に爽快だった。

実状はいかにせよ、コンスタンティヌスの改革にはどれも潔い印象を受ける。歴史を1枚の紙にするとしたら、私はきっとローマ史を彼のところで折り返すだろう。それまで迫害されていたキリスト教を公認し、アジアと欧州を繋ぐ特別な地に新しい首都を作らせた。首都の名前はコンスタンティノープル

 

コンスタンティノープルねえ。

当時高校生の私は何度も反芻した。かわいい響きだった。舌の上で飴玉みたいにころころ転がっていく。

それから少しして、このコンスタンティノープルが現在のイスタンブールだと知ったとき、まさに雷に打たれたような衝撃を受けた。

(普段よくきくイスタンブールって、元はコンスタンティノープルだったの!?そんな前に遡るの!?今と昔って、本当に一本の線で繋がっていたんだ!!)

歴史が決してフィクションなどではないことを、私はこの都市の変遷によってやっと思い知ったのだった。

 


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なぜか心惹かれる街というのが私にはいくつかあって、中でもイスタンブールはその頂点に立つ。地理的にも、歴史的にも、文化的にも、こんなに“詰まった”街は珍しいのではないか。ぎっしり詰まっているのに、軽やかなのだ。15世紀までローマを守り続けた難攻不落都市としての品格、歴史に翻弄された街にしか備わらない流動性と許容力。

コンスタンティヌスによって命を与えられたこの街は長い間処女を貫き、十字軍によって純潔を奪われた後も地中海の側にそっと腰掛け、西と東を流れるなにもかもを傍観していた。

 

こんな印象からか、私にとってイスタンブールは女性的なイメージが強い。なんと言ったってビザンツオスマンという二大帝国のお眼鏡にかなった土地なのだ。「わたし、東の女にも西の女にもなれるのよ、ふふふ」なんて嘯きながらいっこうにニュートラルであり続ける、したたかで自由で美しい女性である。

 

シリア難民がトルコへ大量に流れている現在も、首都アンカラやその他地方都市がひいひい喘いでいるにも関わらずこの街だけはなんだか余裕で、じっと私たちを眺めている。

コンスタンティヌス帝の潔さが、この都市にはきっとまだ残っているのだ。眺め返しても一向に視線は合わないのだけれど。

 

✈️✈️✈️

 

さて、なぜこんなことを書いてるかというと、トルコのeビザが無事とれたからです。

4月、ついについに、夢にまでみたイスタンブールの地を踏めることがほぼ確実となりました。

21世紀に生きる小さな自分と教科書の中の偉大な皇帝の間には絶対接点なんて作れないと思うでしょ、でも唯一出会うことのできる場所が日本の外にはあるんだよ。大興奮だよ。本当に本当にうれしい。