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ハタチになりました。旅行記。l became 20 and started keeping a travel journal.

出発前夜

去年よりももやもやした気持ちでリュックサックを背負っている。

全部が偽物に見えて仕方がなく、本当のものがどこにあるのかわからず、本当のものだけをつくりたくて、でもそれってひとりじゃ作れないんじゃないかという確信が私を弱気にさせる。自分に向けていた意識を他者へ移しさえすればひとたび世界は軽くなるのに。

自分という存在から自由になりたい。それなのにどこまで遠くへいっても私は私でしかなく、むしろ慣れない土地でこそ残酷なまでに私は私である。地理的な移動は結果何の成長ももたらさない。 同じ地点でずっと、めげずに挫けずに努力を続けている人のほうがよっぽどその後、自由になる。

わかっている。こんなことはもう早く終わりにしたい。 そう思ってまた始めるのだ (出発前夜)

無事に戻ってきますのでご安心くださいがんばってたのしんできます

イスタンブールはコンスタンティノープルだった

 

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コンスタンティヌスという男の顔が、私はどうしても気に食わなかった。世界史の教科書のローマに関するページには、顎骨のしっかりした、しかし一向にこちらと視線の合わないコンスタンティヌス帝の石像写真が載っていた。

「なんやこの人、目イッてるなあ…」なんて隣の席の子と思わず笑い合った。

 

ミラノ勅令で有名なこのローマ皇帝は、その顔こそ私のタイプではないものの、やってのけたことは実に爽快だった。

実状はいかにせよ、コンスタンティヌスの改革にはどれも潔い印象を受ける。歴史を1枚の紙にするとしたら、私はきっとローマ史を彼のところで折り返すだろう。それまで迫害されていたキリスト教を公認し、アジアと欧州を繋ぐ特別な地に新しい首都を作らせた。首都の名前はコンスタンティノープル

 

コンスタンティノープルねえ。

当時高校生の私は何度も反芻した。かわいい響きだった。舌の上で飴玉みたいにころころ転がっていく。

それから少しして、このコンスタンティノープルが現在のイスタンブールだと知ったとき、まさに雷に打たれたような衝撃を受けた。

(普段よくきくイスタンブールって、元はコンスタンティノープルだったの!?そんな前に遡るの!?今と昔って、本当に一本の線で繋がっていたんだ!!)

歴史が決してフィクションなどではないことを、私はこの都市の変遷によってやっと思い知ったのだった。

 


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なぜか心惹かれる街というのが私にはいくつかあって、中でもイスタンブールはその頂点に立つ。地理的にも、歴史的にも、文化的にも、こんなに“詰まった”街は珍しいのではないか。ぎっしり詰まっているのに、軽やかなのだ。15世紀までローマを守り続けた難攻不落都市としての品格、歴史に翻弄された街にしか備わらない流動性と許容力。

コンスタンティヌスによって命を与えられたこの街は長い間処女を貫き、十字軍によって純潔を奪われた後も地中海の側にそっと腰掛け、西と東を流れるなにもかもを傍観していた。

 

こんな印象からか、私にとってイスタンブールは女性的なイメージが強い。なんと言ったってビザンツオスマンという二大帝国のお眼鏡にかなった土地なのだ。「わたし、東の女にも西の女にもなれるのよ、ふふふ」なんて嘯きながらいっこうにニュートラルであり続ける、したたかで自由で美しい女性である。

 

シリア難民がトルコへ大量に流れている現在も、首都アンカラやその他地方都市がひいひい喘いでいるにも関わらずこの街だけはなんだか余裕で、じっと私たちを眺めている。

コンスタンティヌス帝の潔さが、この都市にはきっとまだ残っているのだ。眺め返しても一向に視線は合わないのだけれど。

 

✈️✈️✈️

 

さて、なぜこんなことを書いてるかというと、トルコのeビザが無事とれたからです。

4月、ついについに、夢にまでみたイスタンブールの地を踏めることがほぼ確実となりました。

21世紀に生きる小さな自分と教科書の中の偉大な皇帝の間には絶対接点なんて作れないと思うでしょ、でも唯一出会うことのできる場所が日本の外にはあるんだよ。大興奮だよ。本当に本当にうれしい。

 

あの60年代はいつだって私のすぐそばにある


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「自分は日本人なのかな ああやっぱり違うかも でもどちらかといえば日本人かも」

混血の人間のアイデンティティは常に揺れ動いて不安定だ、だからこそそれを土台からぶち壊してくれる三島由紀夫をぼくは崇拝していた

 

____このままいったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう(産経新聞寄稿文)____

 

まさしくそのようになった、日本は変わった。

21世紀の日本は、国際化の渦に飲み込まれて無機質な国に変貌を遂げた。

日本は日本でなくなった。

拡大解釈をすれば、中国だってアメリカだって、いつかは何かが起こって今の姿とは似ても似つかない様相へ変わっていくだろう。

 

 

私は今までも国というものをあまり信じてこなかったし、ボーダーレスな価値観を重んじてきた。

それなのに、全く正反対のことを叫んでいた三島という人に惹かれるのは本当に不思議だ。

でもあの人の言葉はきれいで、喋り方は泥臭いのに言葉は華麗に跳ねていって、すんなりとお腹のなかに沈殿していくような、そんな軽やかな重みがある。

 

 

ビートルズウッドストックベトナム戦争プラハでも春は過ぎていき、love&peaceは単なる流行りにすぎなかった。

マリリン・モンローが死にケネディも死に月面着陸によってかぐや姫も死んだ。

森田童子三島由紀夫東京オリンピック、二度の安保闘争

あの60年代はいつだって私のすぐそばにある。憧れなんて言葉じゃ足りない、心酔をも越えてぼくはもう疑似体験を済ませてある。

死は生を装って若者へにじりよっていた。あの時代に青春を昇華できていたならばきっとぼくは死んでいた。

 


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なにもかも流行りだ、なにもかも変わるしなにもかも終わる、情熱も信仰も愛も全部なくなる

 

私は何人にもなれないしどの国にも受け入れられないけど、アジア人であることは確かで、地球人であることも確かで、宇宙にいるのだから宇宙人であることも確かだ

なんかもうそれだけだ

 

 

【漫画で】バンコクまとめ

先日、やっとこさ日本に帰国いたしました。

 

バンコクでいったい何をやっていたかというと、観光もほどほどに落書き漫画三昧でした。

ということで以下バンコクまとめ

文字も手書きなので解読不能なくらい汚い。ご容赦。

 

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バンコクはとにかく広くて暑い街でした。

東京並みにばんばん高層ビルたってるし

すぐ隣の国だというのにタイとカンボジアとの間にどんな違いがあったのか、その差は歴然、歴然すぎて物悲しい。

 

バンコクの若者はみんな陽気で誇りに満ちていた

一緒に歌いながらビールを飲んでても、カンボジアで出会った現地の人々のあの苦いはにかみが、幾度も脳裏にちらつく始末でした。

 

私のバンコクの感想は

 

都会、暑い、つまらない

 

これに落ち着いた

もし次タイを訪れるとしたら、バンコクではなくチェンマイパタヤ、そのた郊外都市を狙いたい。

 

おしまい。